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最高裁判所第二小法廷 平成9年(行ツ)246号 判決

名古屋市千種区田代町瓶杁二二番一一八号

上告人

早川東助

右訴訟代理人弁護士

佐藤浩史

名古屋市西区押切二丁目七番二一号

被上告人

名古屋西税務署長 稲吉丈夫

右指定代理人

杉山典子

右当事者間の名古屋高等裁判所平成九年(行コ)第一〇号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成九年九月二九日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐藤浩史の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に基づき又は原判決を正解しないでこれを非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

(平成九年(行ツ)第二四六号 上告人 早川東助)

上告代理人佐藤浩史の上告理由

第一 上告理由一

原判決は、本件株式(一)(二)の譲渡所得について、実体法上、右株式が上告人を含む複数の共同相続人の共有に属する事実を認めながら、その譲渡所得が上告人のみに帰属すると判断しているが、これは、憲法八四条所得税法三三条一項、三六条一項、一二条の解釈適用を誤り、ひいては理由不備を犯し、右憲法がいずれも判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決が認定した事実

本件で問題となっている株式のうち、第一審判決別紙株式目録(一)及び(二)記載の株式(以下「本件株式(一)(二)」などという)について、原判決は、第一審判決の事実認定を支持し、右株式について未だ遺産分割が成立していないとの事実を認定している。いうまでもなく、本件(一)(二)株式について遺産分割の合憲が成立しておらず、共同相続人の共有に属するならば、その処分の効果も各共同相続人にその持分に応じて帰属するに過ぎない。したがって、原判決の右事実認定を前提とすれば、その譲渡による収入はこれら共同相続人の各々にその持分に応じて帰属するにすぎず、上告人一人のみに属する理由はない(共有土地の譲渡収入について同旨の判決例として福岡地判平成三年二月二八日税務訴訟資料一八二号五二二頁)。

二 「経済的利益」を生じていないこと

原判決は、この点について、第一審判決の理由を引用し、上告人に経済的利益が生じていることを述べたのみで、このことから直ちに右譲渡による所得が原告のみに帰属するとの立論を展開している。しかし、そもそも、上告人に「経済的利益」が生じているとは認められないから、原判決の立論はその前提を欠くものである。

1 「経済的利益」にかかる原判決の認定

原判決のいう「経済的利益」に関する認定は、次のとおりである。すなわち、訴外株式会社ハヤカワカンパニー(以下「ハヤカワカンパニー」という)は、昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日までの間に、上告人から、合計四億〇三九〇万三九六八円の資産を譲り受け、また、合計四億六四五四万七二五四円の債務を引き受けたことから、差し引き、ハヤカワカンパニーが上告人に対し、六〇六四万三二八六円の出超となったところ、上告人振出しの約束手形の決済資金として本件受取金四億八四四六万八四五〇円が上告人に送金されたことから、ハヤカワカンパニーの合計五億四五一一万一七三六円の出超となった。そして、本件株式(評価額合計五億六三九七万八二八九円)及びその他の有価証券(評価額合計一億三九一八万七二四七円)が売買された後、上告人とハヤカワカンパニーとの間で、平成元年三月三一日付けをもって、本件受取金の返済債務等と相殺処理された、というのである(原判決が引用する第一審判決二〇頁ないし二二頁)。

2 相殺処理と経済的利益の享受について

右判示によれば、原判決は、本件株式の譲渡代金が本件受取金の返済債務等と相殺処理されたから、上告人が右相殺額相当の経済的利益を受けたとするもののようである。しかし、仮に右のような相殺処理が認められるとしても、本件株式(一)(二)が共有株式と認められる以上、経済的側面においても上告人のみが利益を享受しているものではない。

すなわち、特定の資産を譲渡して債務を決済する場合、当該財産が債務者自身の所有である場合もあるが、そうでない場合もあり得ることは当然であり、上告人の債務を決済する場合であっても、上告人の単独所有資産でなく他との共有資産をもってその返済にあてることは可能である。原判決は、株式(一)(二)について、上告人において早川商店の事業遂行のために処分する等して利用することを亡早川清一(以下「亡清一」という)の相続人らが承認していた旨認定するので(第一審判決一九頁~二〇頁)、上告人による株式譲渡の効果は各相続人に有効に帰属し、各相続人はその共有持分に応じた代金債権を取得することになる。したがって、原判決認定にかかる相殺処理を行った場合には、ハヤカワカンパニーとの間で上告人の債務が消滅したとしても、上告人は、他の相続人との間では各共有持分に相当する代金の清算義務を負担するのであり、その意味で、ハヤカワカンパニーに対する債務が他の相続人に対する清算債務に振り替わっただけのことであって、上告人が経済的利益を受けたと評価することはできない。

そもそも、本件株式(一)(二)は亡清一所有の他の上場株式と同様、換価容易な財産であるため、遺産分割にあたり、特に不動産を取得しない姉妹に対し配分するに適した遺産として未分割のまま残されていたという経緯がある。また、上告人の姉妹も、本件株式(一)(二)を含む株式の存在を認識し、現在でもこれについて遺産として何らかの分け前を受けとる権利があると考えている事実が認められる(今津博子証人調書五頁~六頁、乙一四ないし乙一六など)。したがって、事実遂行の必要から、やむを得ず上告人において右株式を処分した場合であっても、他の相続人らが、事後的にその持分に相当する金員の清算を受ける権利まで放棄しているとは到底認められない。

以上の事実によれば、仮に、相殺処理によって上告人のハヤカワカンパニーに対する債務が消滅したとしても、右債務は本件株式(一)(二)の共有者に対する清算債務に振り替わったに過ぎず、上告人は現在でも右債務を負っているといえるから、上告人は原判決認定のような経済的利益を確定的に享受しているとは到底認められないものである。

三 課税物件の法律的帰属を無視していること

仮に、上告人に「経済的利益」が生じているとしても、共有株式を譲渡した場合に、共有者の一人のみに対し当該共有株式全体の譲渡所得の帰属を認めることは、課税物件である株式の実体法上の帰属を無視して恣意的な課税を行うものであり、前記所得税法の解釈適用を誤るものというべきである。

1 課税物件の法律的帰属と経済的帰属

いわゆる実質所得者課税の原則(所得税法一二条)の意義について、周知のようにいわゆる法律的帰属説(課税物件の法律上の帰属につき、その形式と実質とが相違している場合には、実質に即して帰属を判定すべきであるとする説)と経済的帰属説(課税物件の法律上の帰属と経済上の帰属が相違している場合には、経済上の帰属に即して課税物件の帰属を判定すべきであるとする説)との見解の対立がある。

本件では、本件株式(一)(二)株式について、遺産分割の合意が存しないことは原判決も認めるところであるから、右株式が(株式の名義に関係なく)共同相続人の共有に属するという法律的帰属は明らかである。にもかかわらず、上告人一人に「経済的利益」が生じていることのみを理由に所得の単独帰属を認める原判決は、右の経済的帰属説に依拠するものと考えられる。しかし、経済上の利益といっても一定の法律関係を基礎にしているのであり、法の格別の規定がない限り、実体法上認定される法律関係に基づいて課税されなけらばならないことは租税法律主義(憲法八四条)の要求するところである。もし、その法律関係を離れて、もっぱら経済上の関係のみを基礎として所得の帰属者を認定することを認めれば、権力の恣意を容認することになり、法的安定性の要請にも反することとなる。租税法律主義は、当事者の設定した法律関係を離れて課税上独自の関係を認定するには、法の具体的・個別的な要件規定の存在を要求する。したがって、合憲的に現行法の解釈をしようとするならば、法律的帰属説によらざるを得ないのであり、いたずらに経済的帰属のみを重視して、法律的帰属を無視する原判決の立場は到底容認されるものではない。

2 譲渡所得の帰属者の判定

右に述べたことは、一般論であるが、こと譲渡所得に関しては、所得の帰属者の判定は当該譲渡資産の真実の所有権者が誰であるかの認定にかかっている。なぜなら、譲渡所得課税は、もともと譲渡資産について蓄積された過去の値上がり益を譲渡の時点で便宜的に一括認識、把握して課税するものであり、その値上がり益は譲渡前にその資産の所有者に帰属するものにほかならないからである。そうすると、譲渡所得の帰属者の判定に当たって実質所得者課税の原則が働くとしても、それは譲渡所得の基因となった譲渡資産そのものの所有権者の判定について働くこととなる。一般論として経済的帰属説を採る論者であっても、譲渡所得についてその法律的な所有関係まで無視してよいという極端な説を採る論者は見当たらず、その意味で原判決は余りにも極端な立場に立つものと言わざるを得ない。

3 租税法律主義は、権力の恣意を抑制するために厳密な要件主義と法的安定性を要求する。加えて、課税庁は課税に当たり強大かつ広汎な調査調査権限を与えられ、その基礎となる資料を十分に収集し、法律の適用についても検討する機会を保障されている。その上で課税庁が行った処分が法律に違反している場合は、租税法律主義の原則から、裁判所は勇気をもってこれを取り消すべきであって、原判決のごとく極端な解釈をもって無理やり課税庁を救済すべきでは決してない。東京地判昭和五五年一月一六日(税務訴訟資料一一五号四七四頁)も、その末尾において「課税処分という公権力を行使する関係においては、課税庁に与えられた調査権限に基づきあくまでも真実の権利関係に即して処分を行うことが要求されるものである」旨判示しているが、誠に正論であり、その意味で、原判決は破棄を免れないものである。

第二 上告理由二

原判決は、本件株式(一)の譲渡所得について、実体法上、右株式が上告人から訴外株式会社ハヤカワカンパニーヘ移転していない事実を認めながら、その譲渡による所得が発生する旨判断しているが、これは、憲法八四条、所得税法三三条一項の解釈適用を誤り、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決の認定

原判決は、「株式については、売買契約が成立しても、株券の交付がなければ株式移転の効果が生じない」(原判決が引用する第一審判決二二頁一二行目)とした上、本件株式(一)については「株券の交付があったとはいえないので、ハヤカワカンパニーに株式の権利の移転があったとはいえない」(同二四頁一二行目)と認定している。

ところが、原判決は右判示に続いて「原告はハヤカワカンパニーの代表者であって、その占有の移転は、原告において随時行うことができる状態にあるから、原告は(中略)右未収入債権を有することになった」として、原告に譲渡所得が発生していると判断している(同二四頁一三行目)。

二 譲渡所得の意義

譲渡所得税の課税要件である譲渡所得とは、資産の譲渡による所得をいうが(所得税法三三条一項)、ここにいう「譲渡」とは、一般に「有償であると無償であるとを問わず、所有権その他の権利移転を広く含む概念」(金子宏「租税法(第四版)」一九一頁)と説明される。すなわち、「譲渡」があると認められるためには、当該譲渡によって、実体法上「権利の移転」が生じていることが必須となる。反面、「権利の移転」がなければ「譲渡」があったとはいえず、譲渡所得を生ずる余地はないのである。

三 譲渡所得が生じていないこと

そうすると、原判決が、上告人からハヤカワカンパニーへの本件株式(一)の移転がないとの事実を認定しながら、「譲渡」所得の発生を認めることは、明らかに右所得税法の解釈適用を誤るものというべきである。原判決は、占有の移転を随時行うことのできる状態にあったことをもって、現実に占有の移転がされたものと同一視するかのようであるが、権利の移転の有無は占有移転の有無によって客観的に決せられるべきものであり、占有の移転が随時行うことのできる状態であったかどうかによって決せられるものではない。

この点について、所得税基本通達三六-一二は、譲渡所得の収入発生時期を、当該譲渡所得の基因となる資産の引渡しがあった日によるものとしている。右基本通達が引渡しがあった日を収入すべき時期と定めるのは、引渡しを了することによって同時履行の抗弁権を失わせ、譲渡人が代金を収入し得る状態となるからにほかならない。そうであるからこそ、右通達において、引渡しが「あった」日とされ、引渡しが「可能な」日とはされていないのである。原判決のように、引渡しが可能な日が収入時期とされるとすれば、納税者は、収入時期を合理的に予測判断する明確な基準を何ら持ち得ないことになる。このような事態が、譲渡所得の収入時期に関する根本原則をないがしろにするばかりでなく、憲法八四条が保障する租税法律主義の下での法的安定性を甚だしく害するものであって、到底容認されるものではないことは明らかである。

四 結論

課税庁は、課税に当たり強大かつ広範な調査権限を与えられ、その基礎となる資料を十分に収集し、法律の適用についても検討する機会を保障されている以上、課税権力という公権力を行使する関係においては、あくまでも真実の権利関係に即して処分を行うことを要求されることは、上告理由一における結論で述べたことがそのまま妥当する。真実、株式の権利移転が存在しない以上、譲渡所得を認めることができないことは当然であり、何ら正当な理由なくして課税庁の処分を適法とする原判決は、断じて破棄を免れないものである。

第三 上告理由三

原判決は、本件株式(一)(二)の譲渡が、所得税法九条一項一一号ホ(昭和六三年法律一〇九号による改正前のもの。以下同じ)、所得税法施行令二七条の三(昭和六三年法律一〇九号による改正前のもの。以下同じ)にいう、同一銘柄の株式等をその年において一二万株以上譲渡したものに当たると判断している(原判決六頁)。しかし、これは所得税法及び所得税施行令の右各条項の解釈適用を誤り、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原則の判断

原判決は、前記のとおり、亡清一の遺産である本件株式(一)(二)について遺産分割の合意の成立を否定し、共同相続人の共有に属する事実を認定したが、右判示によれば、原判決は、かかる共有株式の譲渡における所得税法九条一項一一号ホ、所得税法施行令二七条の三にいう株数(一二万以上)の判定について、共有者の持分に相当する株数ではなく、当該共有株式会社全体の数によって判定するとの判断を行ったことになる。

二 所得税法九条一項一一号ホの立法趣旨

昭和六三年改正前の所得税法においては、昭和二八年以来長年にわたり有価証券の譲渡による所得は原則非課税とされ、法が明示的に認める場合に限り課税するものとされていた。有価証券の譲渡による所得が原則非課税とされた趣旨は、一般投資家の株式等への投資を誘引し、企業の資本調達を容易にして自己資本の充実を図る点にあり、株式等に投資した一般投資家が、たまたま資金の必要に迫られてその有価証券市場を通じて株式等を譲渡するような場合に生ずる所得を課税の対象から除外するという趣旨であったといわれる。しかし、同一銘柄の株式を一二万株以上譲渡するいわゆる大口取引の場合は、一般投資家の通常の株取引の範囲を超え、右趣旨からは非課税とする理由に乏しいことから、例外的に昭和五四年四月の税法改正において課税の対象とされることとなった。(所得税法九条一項一一号ホ、所得税施行令二七条の三)。なお、これ以前から、有価証券を継続的に取引するという営利性の強い場合にこれを課税の対象とする旨の規定が置かれており(所得税法九条一項一一号イ)、同一銘柄一二万株以上の譲渡による所得を課税の対象とするのは、右継続的取引の場合と基本的には同一の考え方によるものと思われる。

三 共有株式の場合の株数の判定

譲渡にかかる株式が複数人の共有に属する場合に、共有者各人について右所得税施行令に定める株数の判定をどのように行うべきかという問題については、次に述べる理由から、共有株式全体の数ではなく、当該共有者の持分に相当する株数によって判定すべきである。

すなわち、第一に、前述したとおり、本件譲渡当時は、昭和二八年以来有価証券の譲渡は原則非課税の時代であり、明文の例外をもって課税が許されるに過ぎなかったことに加え、解釈に疑義がある場合には課税庁ではなく納税者に有利に解釈するのが租税法律主義の要請するところでもあるから、当該課税規定の解釈は厳密に行われるべきである。第二に、共有資産の譲渡所得は、その持分に応じて各共有者に帰属することには争いがないところ、所得税法施行令の株式数の判定は、各共有者について当該所得が課税所得となるかどうかの基礎となるべきものであるから、その株式数も持分に相当する株式数によって判断されるべきことは当然である。もし、共有株式全体の数によって判定されるとすれば、極めて少ない持分を有するに過ぎない者も、他人が多大な利益を取得したことを理由に課税されることになり、あくまで課税単位を個人とする所得税法の考え方に著しく反するといえる。第三に、前記所得税法及び所得税法施行令の趣旨に照らせば、前記当該取引が課税の対象となるべき大口取引といえるかどうかは、課税単位である当該個人について、通常の株取引の範囲を超えた大口取引といえるかどうかという観点から判断されるべきであるから、持分に相当する株式数が一二万株に満たない場合まで、当該個人にとって大口取引であると判断することは経済的実態に合わないことは明らかである。

よって、所得税法施行令二七条の三にいう一二万株以上の判定は、共有株式の場合は、当該個人の持分に相当する株式の数によって行うべきである。

四 結論

以上によれば、本件株式(一)(二)は、いずれも上告人を含む相続人六名の共有に属しその持分は均一であったから、上告人について持分に相当する株数はいずれも一二万株に満たず、所得税法九条一項一一号ホ、所得税法施行令二七条の三に該当しないから、非課税というべきである。

第四 結語

近代の「法の支配」の下においては、公権力の行使である租税の賦課・徴収は明確な法律の根拠に基づいて行われることが要求されることはいうまでもない(租税法律主義)。「法の支配」は、権力分立を前提として公権力の行使を法律の根拠に基づいてのみ認め、これによって国民の自由と財産を保障することを目的とする、根源的な憲法原理である。したがって、その現れである租税法律主義の下では、課税の根拠たる法律の解釈において、国民の予測可能性と法的安定性とが最大限尊重されなければならず、いやしくも公権力の恣意的な行使を許すことがあってはならない。

本件は、株式の譲渡所得が問題となった事案であるところ、すでに述べたとおり、原判決は、実体法上、本件株式(一)(二)がいずれも未分割共有株式であり、かつ、本件株式(一)が譲受人とされる者に移転していないことを事実として認定しながら、第一審判決を無批判に踏襲し、上告人のみに譲渡所得が帰属するとの判断を行っている。原審において、上告人が第一審の判断の不当性について極めて詳細かつ具体的に指摘したにもかかわらず、原判決は、これらの点について何ら実質的な審理を行わず、判決においても何ら説得的な判示も行うことなく、第一審判決にわずかな字句の加筆訂正を行ったのみで、いとも簡単に控訴を棄却している。このような原判決の姿勢は、上告人の三審制度の下で公平かつ十分な裁判を受ける権利を踏みにじり、課税権力の主体である被控訴人をなりふり構わず救済しようとするものと言わざるを得ず、その意味で偏頗、不公平な判決とのそしりを免れない。加えて、株式の実体法上の帰属を全く無視した課税を許す原判決は、前記の租税法律主義をゆるがせにし、恣意的な権力の行使を容認するものと言わなければならない。このような原判決は、納税者たる国民を納得させるに程遠いものであり、破棄を免れないものと思料し、本上告に及ぶ次第である。

以上

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